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  蓮光院は、みなさまの願い、お悩み、お気持ちに寄り添って一緒に考えます。 

電話でのお問い合わせはTEL.0257-26-2109
〒949-3675  新潟県柏崎市米山町2,260

 コンセプトお寺の歩み

 寺伝によれば、 和銅四年(711)越前の修験行者・泰澄の開山と伝えています。
 泰澄は米山伝説に登場する人物で、日本海を通る北前船に米の托鉢を乞うたところ拒否されたため、神通力をもって米山山頂に米を飛来させた、という行者でした。
 泰澄は海岸と米山山頂を往来し行をしたと伝えられますが、その海岸で庵を結んだ所が蓮光院の始まりといわれています。
 その後、弘法大師空海が真言密教を開かれた後、真言宗をお寺の宗旨と定め、高野山金剛峯寺の末寺として歴史を下ってきます。

 この地は北国街道の難所、米山峠の
西の入り口にあたります。
それ故に江戸時代には関所が設けられ、佐渡からの金、出女入鉄砲を監視する要衝ともなり、
 宿場町としても大いに賑わいました。蓮光院はその関所に隣接して在り、
近郷の通行手形の発行も行いました。
 しかし、元和二年から天明元年にかけて数度の災害により壊滅しますが、
寛政九年(1797)高田藩主榊原政永公の援助を受け、南光坊の在った現在地に移転再建を果たしました。
 さらに、大正九年(1920)鉢崎大火により本堂、鐘楼、庫裏、鎮守等ことごとく焼失。
 戦時下にも関わらず昭和七年(1932)再び復興され現在に至ります。蓮光院の歴史は言うならば、罹災と復興の歩みでした。

 明治十四年(1881)高野山大学の教授を勤めていた蓮光院住職・西村淨憲師は東京文京区護国寺・新義派大学林の教授に迎えられました。淨憲師の功績を顕彰する墓石が当院墓所にあります。
 明治以降は、奈良県桜井市に在る真言宗豊山派・
総本山長谷寺の末寺として活動を続けています。




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蓮光院・はっさき地蔵堂

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新潟県柏崎市米山町2,260
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住職 中村淨光
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